授業のこぼれ話 #8 敬語の相互補完性はこの比喩で!
2022.09.20
「飲まれますか?」
「召し上がりますか?」
「お飲みになりますか?」
目上や親しくない相手に対して、飲み物をすすめたり飲めるか否かを問う場合、このように言うことができる。
日本語を母語とする者には至極当然のことであり、何ならもっと色々な表現が出てくる人もいるだろう。
でも、日本語学習者やその学習者に対して日本語を教える者のうちの少なからぬ者は、こうも思うのだ。
「...ちょっと、多くない?」
『みんなの日本語 初級Ⅱ』の第49課では、数種ある敬語の中でも尊敬語が取り扱われている。
そして尊敬語について、同テキストの補助教材『教え方の手引き』では以下の説明がなされている。
「聞き手や話題の人に敬意を示すために、聞き手や話題の人の行為や状態、所有物などを高めて表すもの」
その具体例の一つが、冒頭の三種類の表現というわけである。
断っておくが「なぜ3つもパターンがあるのか?」と不満半分で訊かれても困る、答えなんかわからない。
何となく丁寧さの度合いや共起できる動詞がそれぞれに異なることは説明できるが、それは根本的ではない。
長い時間の中でそのように変化してきて、今はこの状態でとりあえず落ち着いているだけではないかと思う。
と、そんなことを言っても学習者の負担や抵抗感は全然減らないし、テストや世の中も変わらない。
何ならその3つの異なりを覚えるために脳の容量をさらに使って...という悪循環にさえ陥りかねない。
で、言語学者でも何でもない現場の教師たちにできることは何か?
そう考え続けた結果、「『あれ』と同じだよ」と伝え納得させられればいいのでは? というところに至った。
では「あれ」とは何か?
それはズバリ「レジでの支払い方法」である。
もっと具体的には❶現金 ❷カード ❸電子マネー、これである。
現代人ならこれらを、例え併用していなくても購入する側が選択できることは、余程でなければ知っている。
「これ」と尊敬語は(実は謙譲語もなのだが)同じだよ、と説明するのである。
その際、図として五輪のマークから上段と下段の右端を除き、残る三輪を相互に一部重なり合うように描く。
それで、3つ使える店もあれば未だに現金しか使えない個人商店や自販機もあるよね?
複数選択できる場合には、よりお得になるものを選んだりするでしょ? ということを話したりする。
つまりは、両者とも相互補完的であり、選択の余地がユーザー側に(ある程度)は委ねられているのである。
このことをいくつかのクラスで試し、学生たちの反応からはすでに手応えを得ている。
敬語の理解や指導でお困りのそこのあなた! このアイディア、どうでしょう?
(瀬戸)