授業のこぼれ話 #7 使役をめぐる冒険
2022.09.09
授業中、ある非常に優秀な学生が顔をしかめて言った。
「先生、この自動詞とあの自動詞は同じですか?」
これは『みんなの日本語 初級Ⅱ』の第48課を授業で担当した際の話である。
この課の学習目標は「使役」。使役文では述部の自動詞/他動詞の別が文全体に影響を与える。
具体的に言うと「影響」とは、以下のような違いのことである。
まず述部が自動詞の場合は以下にように、行為者の後ろの助詞は通常「を」をとる。
①わたしは息子を買い物に行かせます。
②部長は佐藤さんを会議に出席させました。
一方で述部が他動詞のケースでは、行為者の後ろに付く助詞は「に」となる。
❶わたしは息子に料理を作らせます。
❷部長は佐藤さんに資料をコピーさせました。
(↑おそらく「二重ヲ格制約」の影響を受けている)
よって、これを学ぶ側には文の述部の自動詞/他動詞の見分けが要求されることになる。
この見分けは非日本語母語話者には結構難しく、この課の内容の理解・習得における壁と言ってもいい。
「普通の」学生は自動詞と他動詞の対応表など、何かの手掛かり・足掛かりを携えてこの壁に挑む。
だが、より物事を本質的に深く考える人間には、その壁の手前にもう一つの壁が立ちはだかる(らしい)。
それが、冒頭の学生の「先生、この自動詞とあの自動詞は同じですか?」であるというわけである。
もう少し詳しく説明しよう。
その学生の中で自動詞は「人間がその行為の成立に関与していないもの」として認識されていたようである。
「ドアが(風で)開く」「電気が(人体などを感知して自動的に)つく」「雨が降る」などがその例だ。
しかし、上記の自動詞の例文中の動詞には人の存在が不可欠ではないか、というのがその学生の言い分だった。
どれどれ。
「①わたしは息子を買い物に行かせます。
②部長は佐藤さんを会議に出席させました。」
確かに「~行かせます」の「行く」、「~出席させます」の「出席する」は人の行為そのものである。
ただ、これらも立派な自動詞なのである(説明は割愛、文法書などを参照されたい)。
で、その学生にも動詞の自他のそもそも論は、その場では時間の制約や他の学生のことを考慮し割愛。
「を」の有無で見分けなさい、とだけ説明したところ納得してくれたようであった。
このような場合のみならず、この見分け方法は「曲者」対策にもなる。
「曲者」とは「自動詞なのに「を」と共起する輩」のことである。
例えば「道を通る」「右側を歩く」「空を飛ぶ」「部屋を出る」「バスを降りる」などがそれに該当する。
これらを使役文にする際には、自動詞であるが他動詞と同様のルールが用いられるのだ。
・「わたしは子どもに道の右側を歩かせます」
じゃあこれで完璧!と思えるが、果たしてそうなのかという疑問は残る。
何故か。それはまず「もとの文」を想起してからでないと使役文を生成できないことにある。
「もとの文」を想起できた場合、学生の頭の中では以下のような作業が行われることだろう。
「息子は料理を作ります」→「を」があるから他動詞→「わたしは息子に料理を作らせます」
...遅い。記述式のテストなんかでは通用するかもしれないが、会話では使用できないだろう。
また「もとの文」がそもそもわからない/間違っている場合にはどうするのだろうか?
「×息子は料理が作ります」→「を」がないから自動詞→「×わたしは息子を料理が作らせます」
...意味がわかりにくい。学習者の誤用に慣れている人なら何とかなるかもしれないが...。
また、上記の「曲者」を他動詞と捉えて今後学習を進めてしまう可能性が高くなる。
そうするとそれはそれでまた躓きの種となり...。
などといったことを考えていると「を」の有無を基準にした見分けでいいのかという疑問は消えない。
この、使役をめぐる冒険はまだまだ続きそうである。
(瀬戸)